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中3の彼女と夢中でやった“制限プレー”

画像はイメージです

こっちが高2で相手が中3の時。
彼女との童貞喪失から高校卒業して離れるまでの話。

高2の時、近所の中3の英子(仮名)と初エッチした。

英子とは母親同士が仲が良くて、小さい頃からよく遊んだ仲だった。
それでもこの年になればさすがに英子の親が英子を連れて来ることはなかった。

ある時、親同士で、英子の成績があんま良くなくて公立高校に行けないかもしれないとか話題になった際に、なんでか俺が教えるという話になった。
俺も表面上はいやいやの素振りを見せていたが、内心は英子に勉強を教えられることをかなり嬉しがっていた。

元々仲がそんなに悪くなかったので、べつだん妙な距離感を醸し出すことも無く、すんなり勉強を教えられる態勢になり、英子の家に行き、苦手な数学、理科、社会(公民)を重点的に教えることにした。
俺は自慢じゃないが、自分が馬鹿なので人に教えるのが上手い方だと思う。
自分がやった時よりもかなり早いスピードで英子は数学、理科、社会科を飲み込んでいった。

教える時にはできるだけ、内心エロいことを想像していることを見せないようにして丁寧に教え、相手が自分との距離を詰めてきても勤めて気がつかないように装った。
内心は相当ドキドキして、英子の匂いを思い出して家に帰ると5回は抜いていた。

教え始めて1ヶ月くらい経って英子の中間テストが始まった。
国語と英語は元々偏差値50前半くらいは取れていたが、数・理・社は40前半か40を切るくらいが英子の元々の成績だった。
それが数・理・社で50後半くらい、やる気が波及したのか英語も国語も60台の成績に一気に飛躍した。
英子も勉強することが好きになったようだったので、俺はそろそろ一人でも勉強できると思い、「家庭教師いらないかもな」と教えることが少なくなってきたことを示唆することを言うようになった。
そうすると、英子は今まで以上に俺に細かい質問をするようになってきた。

そんなある時、英子の両親ともども居なくて、家に2人きりになる状況ができた。
俺も、両親が居ないということで普段よりも砕けた話をするようになって、彼女がいないことなど、かなりプライベートな話をした。

ふいに英子から、「ねえ、私と付き合って欲しいんですけど」と不意打ちのように告白された。

不意打ち過ぎて頭が真っ白になり、「えっ、ああ。いいのか?俺で」のような、かなり平常風に見せることに最大限のエネルギーを使った返答をした。
しかし内心は、相手から告白されてしまったこと直感的に失敗したなと思っていた。
そして、「トイレに行く」と言って口をすすぎ、ついでにチンコも洗って気合いを入れた。

その後、今度はこっちからキスをすると英子は難なく舌を絡めてきて、しばらくそのままキスしたまま抱き合った。
1時間くらいそうしている間、俺は、いつマンコに手を持っていくかのタイミングをずっと窺っていた。
今考えてみると流れてマンコに手を持っていくのは当たり前のように思えるが、当時はマンコを触るということは相当なすごいことに思えていたのでなかなか踏み出せなかったのだ。
意を決してマンコをこね始めて2、3分経つと、英子の母親が帰ってきたので、その日はそれで終わりにすることにした。
・・・はずだった。

深夜1時に俺の携帯電話が鳴った。

「・・・ハァ・・・ハァ(エロ意味でなく、息を切らせた感じで)、◯◯(俺)、今から会いたいんですけど・・・」

なんと、英子が家の前まで来ていたのだった。
後から聞いた話だが、マンコをこねられた後から、セックスがしたくてたまらなくなって、空前絶後のセックス願望に支配されたらしい。

俺の部屋は1F、弟と両親の部屋は2Fだったので家にあげることは可能だ。
玄関の音はギィィッィとうるさいので、窓からそーっと入ってもらおうと瞬時に判断して英子を家にあげた。
できるだけ音を立てずに戸を閉め、布団の中でもぞもぞ服を脱いでいき、裸になったまましばらく抱き合い、キスをしながらお互い俺は英子のマンコをこね、英子はチンコをゆっくりしごきながら肌の感触を楽しんだ。
本当はもっと貪りたいが俺のベッドは激しく動くとギシギシ音を立てるので、“制限プレー”で動くしかない。
それでも、俺は脳髄が溶けるほど快楽物質が頭から出ているのを感じていたし、英子も同じように夢中になっている様子だった。

「怖いから私に入れさせて・・・」

そう言うと英子は俺の上に乗り、チンコの上にマンコをゆっくり被せてきた。
そして、ゆっくり、ゆっくり、「いててて」と小さい声で言いながらも腰を下ろすのを止めず、処女膜を破いた。
俺は、初めての中の生暖かい感じと、オナニーしすぎて若干傷ついた亀頭が膣壁に擦れて痛い感じを味わいながら、英子が痛そうなのであんまり動かないでジワジワ感触を楽しんだ。
しばらくそのままゆっくり動いたり止まったりしていると、ものすごいゆっくりした速度で快楽が上ってきて、普段なら射精しているような快楽の状態がかなり長い間続いた後、本当に我慢ができなくなって・・・。
中出し直前で抜いて、布団と英子のお尻から背中にかけてかなりぶちまけた。

その後、抱き合っていたが、一向に勃起が萎えないのでまたゆっくり挿入。
しばらくして中出し直前で抜くというプレイをもう一度すると、4時頃になったのでウェットティッシュで応急処置をして、「家まで送る」と言って着替えて、窓から抜け出して英子の家まで送った。

その後も、英子の両親がいないときや、深夜の俺の自宅などでハイペースでやりまくったが、英子とのセックスはほとんど制限プレー(音が出せない)だったので、特殊な技法を駆使した。
数の子天井まではいかないが、入り口付近と中に亀頭でもはっきり感じられるザラザラボツボツ感がある女性はいるが、英子もこのタイプだった。
ここを5ミリ周期程度で高速振動させて擦り、気持ちよくなるという技だ。

そして英子もその周期で快楽が上昇していくようになっていた。
俺も英子の好む速度と、角度をこの5mmの動きの中で身につけてイカせられるようになった。
英子もまた、快楽を高める時、射精に導く時、復活させる時など、動き方を変えて的確にチンコをコントロールさせているようだった。

英子は高1になって同じ高校になったので、後は色んな所でだらだらとやりまくっただけであんまり面白くないので省く。

高校3年になって、東京の大学に俺が行くことになるまでその関係は続き、大学になったと同時に別れを宣言することもなくそのまま今に至る。
ただし、お互い制限プレーが忘れられないので(特に俺がw)、今でも実家に帰った時はそれとなく誘い、その制限プレーをしている。
俺としては今年東京の大学に来て欲しいが、金銭的な意味で国立以外は無理なのでどうなるかは不明。

最後、あんまり面白く無くて申し訳なし。

ちなみに、この小刻みな動きのセックスがかなり気持ちよく、例えるなら、ナメクジにまとわりつかれて快楽を相手の思い通りにコントロールされながら精子を絞られる感じが本当に忘れられない。
たまにそれとなく理由をつけて実家に帰って味わいたくなる。
これ読んでる人も彼女に教え込んでみるといい。
俺のようにその女が忘れられなくなる危険性があるけどw


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